

こんにちは
だまブログ管理人のだまです。
私はずっと、
自分の人生は「自分軸で選んできたもの」だと思っていました。
仕事も、結婚も、人との距離感も。
多少の遠回りはあっても、
最終的には自分軸で心のままに決めてきたつもりだった。
でも最近、
愛着専門のカウンセリングを受け始めてから、
その前提が少しずつ揺らいでいます。
もしかしたら私、
「自分で選んでいた」のではなく
「他人軸で選ばされてきた」だけだったのかもしれない。
そんな感覚が、じわじわと出てきました。
今回はそんなことを気づいた経緯を、書いていきたいと思います。
この記事は、このような方におすすめです
- ちゃんとやってきたのに、なぜか満たされない人
- 人に尽くしてきたのに、どこか孤独を感じている人
- 関係を壊さないために、自分の心の声を小さくしてきた人
なぜ愛着カウンセリングを受けているのか


カウンセリングを受け始めた理由は、
大きな事件があったから、というよりも、
- 同じことで何度も傷つく
- 相手が違っても、同じ反応をしてしまう
- 分かっているのに、やめられない
- 夫とのケンカがパターン化している
そんな「繰り返し」に、気づいたからです。
自分なりに本も読んだし、
あがり症克服に向けカウンセリングや、講座を通して学びを深めてきました。
自己理解も深まっている感覚もあったし、
物事への姿勢や考え方も変えようと努力してきました。
でも、頭では理解できていても、
腹まで落ちている感覚が持てなかった。
夫との関係や、人間関係につまづくパターンから抜け出せないままでした。
そこで初めて、
「これ性格だけの問題じゃないのかもしれない」と思い、
自分の行動パターンを調べていく中で出会った、愛着障害(不安型)という言葉。
調べたら「これ私じゃん・・・」となりました。
そして行動パターンから抜け出したくて、愛着を専門に扱うカウンセリングを受けることにしたのです。
(下記記事は、愛着障害に関する参考記事です)
カサンドラ症候群に苦しむ40代子なし女性が気づいたこと | だまブログ
私の中にあった、見えないルール


カウンセリングを通して見えてきたのは、
私の中にずっとあった、ひとつの前提とした価値観です。
「人の役に立てば、私はここにいていい」
この前提があると、
無意識にこう動いてしまいます。
- 他人の期待に応えようとする
- その場で正しくあろうとする
- 相手の問題を自分のこととして解決しようとする
- 自分の本音や気持ちは後回しにする
これを私は、
「HSP気質で他人の期待を察することができるから」
「もういい大人だから」
「気が利くから」だと思っていました。
でも実際は、
居場所を失わないための防御反応による行動だったのだと、気づかされました。
役に立たない私では、そこにいる権利はないと思い込んでいたのです。
だけど本当に欲しかったのは


カウンセリングの中で、
過去の自分が本当に欲しかったもの、
今の自分が心の底から欲しがっているもの、を見つけられた気がしています。
それは、
「役に立たなくても、私はここにいていい」
という感覚でした。
私は評価されたいわけでも、
感謝されたいわけでもなく、
ただ
「私そのままで(ここにいて)いい」と親に夫に言われたかった。
ありのままの自分の存在を、受け入れてほしかった。
ただ、それだけだったんです。
でも皮肉なことに、
「人の役に立てば、私はここにいていい」
という価値観を前提に行動してきたため、
ありのままの自分でいられる場所はどんどん少なくなっていった。
子なし人生が確定したあとは、より一層「他人の役に立つ」という言動で私の存在意義を必死に守ってきた気がします。
結果、本当に心の底から欲しかった、
「役に立たなくても、私はここにいていい」という感覚を、私はとても感じにくい生き方をしてきたのです。
家出して、初めて分かったこと


年末、夫と大きなケンカをし、
私はしばらく家を離れて過ごしました。
その時間の中で、
意外な事実に気づきました。
困ったのは、生活の「環境」のことだけ。
夫と離れて過ごすことの精神的な寂しさや不安は、思っていたより感じなかった。
そこで初めて、
私はすでに夫に期待すること自体を諦めていたのかもしれない、と気づきました。
それは決してポジティブな諦めではなく、
「どうせ期待しても裏切られる」というネガティブなものだった。
でもネガティブに諦めたまま、人間って生きられないもんなんですよね~。
やっぱりどこまで行っても、
自分の気持ちを無視して生きることはできない。
自分は自分以外では生きることができないんだと思い知らされたのでした。
「諦め」ではなく、「諦観」という感覚


カウンセリングで教えてもらった言葉に
「諦観(ていかん)」があります。
諦観(ていかん)とは
1.本質を明らかに見て取ること。
2.悟りの境地にあって物事をみること。
それは、投げやりな諦めではなく、
- 無かったことにしない
- 執着しない
- 少し距離を取って見ることができる
そんな状態です。
カウンセリングを受けても、何かが急に解決するわけではありません。
でもね、
- 夫とのケンカがパターン化していることや、その原因
- 「役に立たないとここにいられない」と自分の心を無視して行動する私、その理由
- 「役に立たない自分として、ここにいること」を責める自分、その理由
そんなことを、前より少しだけ冷静に俯瞰して見れるようになった気がしています。
自分が人生でずっと抱えてきた価値観を、根底から変えることは難しい。
でも
それを見て
気づいて
無かったことにもせず
執着もせず
少し距離を持って見る
そんな自分になれたら・・・
そんなふうに過去の自分と今の自分を統合できたら・・・
勝手に世界も変わるんだと思っています。
今、大切にしたいこと
今の私はまだ諦観の境地には至れてませんよ。
周囲の世界も大きくは変わっていません。
気がつくといつものパターンで思考してる時もあります。
ただ、ひとつだけ違うこと。
何か選択するときに意識するようになった問いがあります。
それは、
「私の本当の気持ちは?」
です。
役に立つという目的のための選択ではなく、
自分の居場所を確保するための選択ではなく、
自分の本当の気持ちに正直になって、
これからは本当にやりたいことを選択していきたいのです。
まとめ
今回は、「自分で選んできた人生」だと思っていた私が愛着カウンセリングで気づいたこと、について書いてみました。
これまでの私の選択基準は「役に立つことで居場所を確保する」がベースになっていました。
ここでは、それは間違ってた(後悔・・・)と言いたかった訳じゃないです。
どんな選択も、どんな目的であれ「過去の私がした最善の選択」だったんです。
でも今からは、過去の自分が選んできた価値観も尊重しつつ、未来はもう少し自分軸で選びたい。
自分の本当の気持ちや本当に欲しいものを、もう少し尊重して選びたい。
そして周囲の人に対しても同じく、その人の本当の気持ちを尊重したい。
そんな気持ちなんです。
同じような違和感を抱えている人に、
何か一つでも引っかかるものがあればうれしいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。








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