理想の夫婦とは?不妊治療後のレスと夫婦生活をめぐるリアルな気持ち

こんにちは
だまブログ管理人のだまです。

「本当はもっと触れ合いたい」——その気持ちは、ずっと私の中にあった。

でも、結婚当初に夫に自分本位の希望を求めすぎて、歯車は狂った。

不妊治療が始まってからは、セックスは義務になり、私や夫にとって“苦痛な時間”になった。

生殖のためだけに重ねる“タイミング”という行為は、心に冷たい風を吹き込むようだった。
夫婦関係もどんどん冷え込んだ。

不妊治療が終わったとき、「もうタイミングを取らなくていい」と少しだけホッとした。
でもその代わりに、ふれあいの機会もほとんど無くなった。

今は、夫のタイミングに合わせて、年に数回あるかないかの“ふれあい”があるだけ。
忘れたころにやってくる“ふれあい”の機会は、私を生かさず殺さずの頻度と言える(笑)

それでも、生殖を目的としない夫とのセックスは、私を少しずつ満たしてくれるようになった。

今回は、そんな今の夫婦のかたちと、そこにたどり着くまでの私の気持ちを正直に書いてみようと思う。

この記事は、このような方におすすめです

  • 不妊治療後、夫婦のセックスレスに悩んでいる方
  • パートナーとの性の価値観の違いに傷ついている方
  • “夫婦らしさ”をセックスの有無だけで測ることに違和感を感じている方
目次

不妊治療中、「ふれあい」は義務になっていた

タイミングと夫婦の距離感

不妊治療中、私たち夫婦のセックスは「排卵日中心」だった。

本当は愛情の確認だったはずの行為が、完全に“作業”になってしまっていた。

私がいつも主導でスケジュールを決めて、プレッシャーを感じていたのは夫も同じだったと思う。
夫も「やらされている」ような気持ちだったかもしれない。
でも、当時はそれどころじゃなかった。

私は妊活のためのセックスだけでなく、常に触れ合いを求めていた。
けれど、夫は淡泊な人だった。そして共感力もゼロだった。
それに、どんどん淡泊になるセックスへの文句を言いすぎたせいか、頻度はさらに減り、さらにレスは悪化していった。

言えば言うほど、レスは悪化する。
気づいた頃には手遅れだった。

あのときの私の責め方が、夫の中に深く傷として残ってしまったのだと思う。
ふたりの歯車は、そこから完全にずれていった。

不妊治療が始まると、セックスは“義務”になった。

回数やタイミングに追われ、そこに愛情や自発性が入り込む余地はなかった。

夫にとっては、私の求めがプレッシャーになっていた。
私の中では“愛されたい”という気持ちだったけれど、 夫には“責められている”という感覚だったのだろう。

今の私たちの関係|春夏秋冬に一度のふれあい

「少ない」と思うのか、「ちょうどいい」と思うのか

現在、私たち夫婦のセックスの頻度は「季節に一度」くらいのペースになっている。

正直に言えば、今は夫のタイミングに完全に合わせている。

私の意向は、ほとんど反映されていない。

でも、私は自分に言い聞かせている、「何もないよりは、ましだ」。

それは本音でもあり、悲しみでもある。

過去の私なら「これでいいの?」と悩んでいたと思う。

でも今は、それでも夫との日々を壊したくない、という思いのほうが強い。

「夫を尊重したい」と「もっと愛されたい」のあいだで

求められないと、自分が魅力のない存在のように思えてしまう。

でも、夫にも夫なりの気持ちやペースがあることは、私もさすがに分かってきた。

「夫の気持ちを尊重したい」という気持ちと、 「もっと愛されたい」という本音のあいだで、私はずっと揺れてきた。

その揺れの中で、「これが今の私たちの形なのかもしれない」と思うようになった。

もちろん頻度に関しては不満だ。

できれば月1回くらいが理想だ。

でも仕方ない。

セックスは1人では成立しない。

婚外やセルプレジャーで解決している人もいるけど、私は夫としたいのだ。
愛し合っていると感じたいだけなのだ。


無理に“取り戻す”より、“寄り添い直す”という選択

話し合ったわけではない。でも、すれ違ってばかりでもない

セックスの頻度について、遠回しに意見を言ったことはある。
夫なりに頻度について私が不満に思っていることも感じている。
その上で、“お互いの無理を感じ取っている”ような空気もある。

それは夫婦関係が冷めているのではなく、お互いへの優しさの一種なんじゃないかと私は思っている。

夫はもうすぐ50歳、精力の減退があっても普通な年齢だ。
もうすぐ知り合って10年になる私と、毎日のようにセックスがしたいと思っていたら、それこそ性欲異常者だろう。

そんな夫の気持ちを尊重し「無理に求めないこと」ことが、愛情のかたちなんじゃないかと、今は思っている。

夫婦って、性だけじゃない。でも無視もできない

性のことは、なかったことにはできない。

でも、「頻度」や「形」だけで測れるものでもないとも感じている。

ふれあえないことで不安になる夜もあるけど、 朝に何気なく差し出されたコーヒーや、 私を気づかってくれる一言に、夫の愛を感じることもある。

私と家族になりたい「夫」と、もう少し男女のままでいたい「私」と。

そんな関係が今のわたしたちだ。

「夫婦とは?」を問い直せたのは、不妊治療が終わってからだった

私はずっと、「夫婦らしさ=定期的なセックスがあること」だと思っていた。

でも、それができないとき、私たちの夫婦関係は終わりなのかといえば、そうじゃなかった。

会話がある。
日常がある。
空気のようにそばにいる時間がある。

それも、かけがえのない“つながり”だと思えるようになった。

老後のために資産形成を熱心にやってくれる夫。
私の好きなビールを定期的に通販で買ってくれる夫。
私の一人の時間を尊重してくれる夫。
何も強制せず、尊重し、自由にさせてくれる夫。

夫のありがたい点をあげたら、本当にたくさんあった。

それをレスだから、という1点で、夫婦生活に不満を抱き、夫を責め続けてきた。

もちろん、レスり側を全面的に擁護する気はない。
夫婦のどちらかが不満に思っているなら、折衷案を出すなどして、解決する方法を見つけてほしい。

どちらかが一方的に不満に思う関係は、長続きはしないと思う。
だからこそ、話し合いが、寄り添いが、必要だと思う。

年齢的に、いずれはどんな夫婦もレスになっていく。それは避けられないと思う。
でも、セックスをする愛から、セックスをしない家族愛へ変化していくために、お互いの気持ちに寄り添うことが大切だと思う。

まとめ:ふれあいの“数”より、寄り添う“気持ち”があれば大丈夫

不妊治療が終わったあと、私の中には「これから夫婦2人でどうしよう?」という問いが残った。

でも今は、「優しさを持ってふれあえるならそれでいい」と思えている。

夫婦は一般的な“正解の形”に沿っている必要はなく、それぞれの夫婦が“ふたりで居心地のいい生活を作る”ことが大切だ

そして、今の私たちの形が、これから変化していってもいい。

お互いの体や心の変化に寄り添いながら、お互いに心地よい、ふたりだけのユニークな夫婦生活をこれからも作っていきたい。

今はそう思っている。

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