私が「子供を持たない」選択をした理由と現状

こんにちは。「だまブログ」運営者のだまです。

今回は、私が「子供を持たない」選択をした理由と、現状について書きたいと思います。

この記事は、このような方におすすめです

  • 不妊治療を経て「子供を持たない」選択をした人
  • 「子供を持たない」選択をして「生きがい」を見失ってしまった人
  • 「子供を持たない」選択をし、これかの人生に不安を感じている人

私自身、約3年の不妊治療を経て、2022年5月に不妊治療をやめて「子供を持たない」選択をしました。

同じく不妊治療を経て「子供を持たない」選択をした先輩とカフェでお茶していた時、
ふと彼女が遠い目をしながら、

「今の人生に、生きがいが見いだせないんだよね」

と言ったのです。

それはまさに私がうすうす感じていたことであり、彼女の姿に未来の自分を見た気がしました。

なぜ「子供を持たない」選択をすると「生きがい」すら失いがちになってしまうのか?

「子供を持たない」選択をすると自動的に「生きがい」すら失うのか?

いやいやそんなはずはない。
そんなことあってはならない。

は?だって今、令和だよ?
多様性の時代だよ?

自分も同じく今に「生きがい」を感じられていないのに、それを認めたくない気持ちもあり混乱しました。

そして、
こんな苦しい気持ちを理解したくて、
誰かと共有したくて、
現状を変えたくて、

このブログをはじめました。

まず、私が不妊治療をやめた理由を書いていきますね。

目次

私が不妊治療をやめた理由

不妊治療が本当に苦痛だった

私の場合、年齢的(当時私39歳、夫43歳)なこともあり早い段階で「体外受精」までステップアップしました。

特にこれといった不妊の理由はなく、強いて言えば私と夫の「年齢」が不妊の理由でした。

体外受精の治療内容は、今までの人生で経験したことのないような痛みを伴うものでした。

この3年間で何本注射を打ったんだろう。

確実に3桁いくよね。

いちいち尻への筋肉注射だし。

尻への筋肉注射の痛みを想像できない人に例をあげるなら「蜂に刺された」ような痛みです。
もっとピンとこなかったら、すみません。
(もちろん治療内容や痛みには個人差があります。あくまで私の場合です。)

2022年4月から不妊治療の一部が保険適用となりましたが、それ以前は自費診療。

お金が飛んで飛んで飛んで飛んで飛んでいきましたよね。

不妊治療はまさに苦痛を伴う「ギャンブル」

身体的・精神的・経済的な負担がものすごいのに、結果は全く保証されていない

「子供は授かりものですから」

という謎の運命ルールのもとに、期待外れの結果にも黙るしかない。

そして周囲からの心無い言葉が、心をガリガリに削っていきました。

  • 今まで好きに生きてきて、晩婚したんだから仕方なくない?
  • 不妊治療してまで子供が欲しいなんて意味不明
  • 高齢出産のリスク知ってる?障害児が出てきたらどうするの?
  • 芸能人なんて45歳とかで産んでるよね。まだまだいける!
  • 卵が育ってるだけマシ
  • 旦那が協力的なだけマシ
  • 流産しても着床しただけマシ

全部事実なのでしょうが、治療の最中には全てキツイ言葉でしたね。

同じく不妊治療している人とも、とりまく環境の違いから真に分かり合えることがない。

不妊治療とは、本当に孤独な闘いなのです。

私の場合、夫が協力的だったのが唯一の救いでした。

それでも不妊治療に対する夫との身体的負担の違いが体感的に、

そのへんの小山とチョモランマくらいの差

だったので、精神的にも本当に孤独を感じてツラかったです。

ホルモン治療の影響によりいつもイライラして、太るし肌は荒れるし夫との関係も険悪になり、レスが悪化。

「なんで子供欲しかったんだっけ?」と最後には迷子になる始末。

「もうこんなツライ思いしてまで、子供欲しくない。期待するのがツライ。もういっそのこと全部終わりにしたい。」

流産した直後は、そんな考えが頭から離れなくなった時もありました。

終わりが見えない治療に、明るい未来が全く想像できなくなっていました。

質の良い受精卵ができなくなった

痛い筋肉注射をブチブチ打って卵を育て、全身麻酔で採卵、術後の痛みにも泣いて泣いて。

ある日、やっとの思いで「採卵した卵の受精状況」をクリニックに聞きに行ったときに、主治医がこう言い放ったのです。

「今回の受精卵は評価が悪いから、結果に期待はできません。

少しでも若いうちにもっと採卵した方がいいから、続けて採卵しますか?


あ、今度の採卵から無麻酔になります。」

・・・

・・・

・・・

ボキッ

心が折れた瞬間でした。

もうこれ以上、治療に耐えられる気がしない。

質の良い受精卵ができなくなったということは、もう潮時なんだ。

凍結した卵を移植し終わったら治療を終了しようと、夫婦で話し合って決めました。

その時の私の年齢は42歳、夫は46歳でした。

私の治療内容詳細については「プロフィール」をご覧ください

「子供を持たない」選択をして見失った「生きがい」

不妊治療をやめた直後は、ホッとした気持ちが大きかったです。

もう痛い思いしなくて済むし、お金も飛んでいかない。

何より「期待して裏切られる」思いをしなくて済むことが、うれしかったです。

そして仕事を再開し過ごしていく中で、

「あれ?これからの人生、何を目的に生きていけばいいんだっけ?」

という考えが浮かぶようになりました。

不妊治療中はまさに真っ暗なトンネルを通っている気持ちでした。

治療を終えて、やっとの思いで暗いトンネルから出たのに、すぐまた別のトンネルに入ったような感じです。

結婚して子供を育てるという「普通」から外れたことで、

「じゃ、これから先は自力でゴールまでいってね~!」

と頼れるものは何もなく、すごく長くて暗いトンネルに放り出された気持ちでした。

私の現在地(現状)

現在、私はまだトンネルの中にいます。

とはいえ、治療中や治療終了直後のように「もう何もかも面倒。全て終わりにしたい。」という感覚になることは減ってきました。

真っ暗なトンネルの中というよりは、少しだけ仲間の存在を感じる薄暗いトンネルの中という感じでしょうか。

「時間薬」が効いているのかもしれないですね。

月に1回受けているカウンセリングも、少なからず救いになっているかもしれません。

カウンセリングで自分の内面と向き合いながら、Webライターや通訳の仕事や、このブログを書いたりして過ごしています。

まとめ

今回は【私が「子供を持たない」選択をした理由と現状】について書きました。

現在はまだ、私自身トンネルから出られてはいません。

ただ、「子供がいない」ことと「生きがいがない」ことはイコールではないと思っています。

というか、そう思わないと生きていけないというのが正直なところです。

これから、このブログで「子供がいない」ことに関する内容の記事を書いていきたいと思っています。

書くことで私自身がトンネルから出れるかもしれないと期待しつつ、私の記事を読んで心が少しでも軽くなる人がいたら、とてもとてもうれしく思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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