離婚寸前からのフルマラソン|夫婦で走った先に見えたもの

こんにちは
だまブログ管理人のだまです。

不妊治療をやめたあと、「もう頑張らなくていい」って安心してたはずなのに、なんとなく気持ちが落ち着かない日々が続いた。

そんなときに、ふと思いついてフルマラソンに挑戦することにした。

その頃、夫婦ケンカが絶えず離婚寸前の状態で、2人で走ったフルマラソン。

走った先に見えたものとは。
今回はそんな話をしてみたいと思います。

この記事は、このような方におすすめです

  • 不妊治療後、心の整理がつかずに「何かに挑戦したい」と感じている女性
  • 夫婦関係にすれ違いや冷えを感じていて、もう一度つながり直したいと思っている人
  • これまで“応援する側”だったけど、「一度くらい自分が主役になってみたい」と思っている人
目次

傍観者ではなく、当事者になりたかった

もともと、マラソンは夫の趣味だった。
今でも、シーズンに2〜3回フルマラソンに出場するくらいの本気ぶりだ。

「お金払ってキツい思いをするなんて、ドMにもほどがある」

正直、ずっとそう思いながら沿道で応援していた。

そんな私が、初めてフルマラソンに挑戦することになった。

きっかけは、夫がなぜそこまでマラソンに夢中になるのか知りたかったこと、
そして、一度でいいから“応援する側”じゃなく“当事者”になってみたかった。

せっかくだからペアで出ようと、
夫も一緒に同じ大会に申し込んでくれた。

練習期間は半年ほどで、週1〜2回走った。
最長で10kmほど走れるようにはなったけど、 フルマラソンを完走するには、まったく足りない練習量だった。

その頃、
私たち夫婦の関係はかなりギスギスしていて、 ケンカしては私が家出するような状態が続いていた。

フルマラソンの1週間前も、私はケンカして家を出ていた。

それでも、せっかく練習してきたのだからと、夫は「マラソンには出よう」と言った。

夫は、
「フルマラソンに挑戦したら、精神的にも成長できると思う」
「だまの精神力が、マラソンを通じて変わることを期待してる」と言った。

私は心の中で、
「は?? なんだそれ、精神が未熟なのはアンタも同じだし」とつぶやいていた。

20km地点で限界が来た「怒り」で前に進んだ

レース当日。
緊張と不眠疲れ、そして夫へのモヤモヤで、心はぐちゃぐちゃだった。

走り始めて、20kmまではなんとかなってた。

夫婦共にゼッケンに名前を表記していたので、
「だまちゃん、ファイト!」と声をかけてくれる応援者もたくさんいて、本当に励みになった。

でも20kmを過ぎたあたりから、
急に、本当に急に体が動かなくなった

フルマラソンの経験者がよく、30kmからが別次元、それからが本番と言っている。

しかし私の本番は早々と20kmから始まった

そりゃそうだ、練習量が足りていない人には限界も早く来る

とにかく足がいう事を聞かない。
股関節に激痛が走る。

それぞれの関門に死ぬ物狂いで数分前に滑り込む、というのを繰り返した。
(今大会では関門が10か所程度あり、それぞれの関門に制限時間が設定されていて、その制限時間内に関門を通れないとリタイヤ=バスで回収される)

周りを見渡すと、うちみたいに“初心者の妻と経験者の夫”って感じのペアが多かった。
その中で、夫がエアサロ(エアーサロンパス)を持ってて奥さんにシュッとスプレーしてあげてる姿が何組も見えた。

「なんでうちの夫は持ってないんだ」って、何度も思った。

そして実際キレた。

「なんで、エアサロ持ってこなかったんよ!!!」

うん、わかる。
とんでもなく理不尽。
でも、あまりの足の激痛に我を忘れていた。

そしたら夫は冷静に言った。
「後半のエアサロって効かないし、荷物になるから持ってこなかった」。

30km地点 怒りと涙でスイッチが入った

30km。
足は棒のように重く、
そして心が完全に折れていた。

「なんでこんなにしんどい思いしてるんだろう」

あまりの足の痛み、平然と走る夫との温度差、周囲の仲良しカップルとの落差に、私は感情が爆発した。

泣きながら、叫びながら、怒りを夫にぶつけながら走った。

一方的に当たり散らす私に、彼はまるでサンドバッグのように耐えながら、それでもずっとそばにいてくれた。

私のペースが崩れないように、関門の時間を計算しながら、無理のないギリギリのラインで誘導し伴走してくれていた。

そんなとき、後ろから「これ以上遅れるとリタイアです」と書かれたサインを掲げた大会スタッフのランナーが現れた。

その意味は、今のペースのままだと関門に引っかかり、完走ができないということだった。

その瞬間、私の中でスイッチが入った。

「ここでリタイアしたら、私の性格上また挑戦することになる」

「夫に“精神が未熟”だなんて、もう二度と思わせたくない」

「もう一度この苦しさを味わうなんて無理。今回で絶対に終わらせる」

そんな思いが、ひと踏みごとに私を前へ押し出してくれた。

気づいたら、関門ギリギリを示す大会側のランナーたちを、かなり引き離していた。

ふと後ろを見ると、いきなりペースを上げた私に夫が必死についてきていた。

「絶対に完走する」

私はそう、夫に言い放った。

沿道にエアサロを持って応援している人がいた。
私はその人に駆け寄り、土下座する勢いで頼み倒してエアサロを足にかけてもらった。

全く、効かなかった。。。。。。
(あの時、エアサロを貸してくれた方、本当にありがとうございました)

ゴールまでの12km 体は限界、でも心は前を向いていた

怒りでスイッチが入ったとはいえ、そこから先の12kmは、正直ずっと地獄だった。

足の痛みはごまかせなかったし、何度も心が折れた。最後はロキソニンまで飲んだ。

でも、心の中にあった「絶対に完走する」という気持ちが、それだけが私の足を前に運んでいた。

エイドステーション(給水所)では、給水カップが前のランナーたちに全部使用され足りなくなった場所もあり、手のひらに水を受けて飲んだりした。

え?手のひらに?

と思いながら、でもエイドのボランティアの笑顔に励まされた。

止まったらもう動けなくなる気がして、立ち止まることが怖かった。

気が遠くなるほどの激痛が走る中、沿道の名前を呼んで応援してくれる人たちが、何度も私を引き戻してくれた。

「だまさん、あと少し!」
「ナイスランだよー!」

そのたびに涙がこぼれるほどうれしかった。

ゴールテープの先にあったのは

ラスト1km。
周囲の景色がちょっと霞んで見えた。
疲労か、涙のせいか、もう自分でもわからなかった。

最後の直線で、夫が私の背中をポンと押して、
「ラストスパート、走ろう!」と言った。
動画を撮ってくれているのが見えた。

その瞬間、自分でもびっくりするくらいの力が湧いて、足が前に出た。

そして、念願のゴール!!!

6時間半かけて、制限時間ギリギリで完走することができた。
感動よりも、ホッとした。
もう、やっと、終わった 
そんな気持ちだった。

でも、時間が経つほどにじわじわと湧いてきたのは、「やりきった」という誇りにも似た達成感だった。

その夜、またケンカして翌日家出 でも——

完走の達成感もつかの間、その夜に私はまた夫とケンカした。

フルマラソンの疲労からお互いに余裕がなかった。

次の日、地獄のような筋肉痛と地獄のような車内の沈黙を乗り越えて帰宅。

私はそのまま、また家を出た。

数日して、普段は私が家出しようが何も連絡してこない夫からLINEがきた。

「せっかく2人で完走したんだし、それを嫌な思い出にしたくない。戻ってきてくれたら嬉しい。」

短い文だったけど、それがすべてだった。

私は、帰ることにした。

ゴールは絶対に一人じゃ切れなかった。
夫がいたから、夫への怒りが支えになって、あの42.195kmを超えることができた。

あれ以来、私たち夫婦はいまだにケンカをする。
でも、どんなにケンカしても家出は今のところしていない。

まとめ 当事者になったから見えた世界

ずっと私は、応援する側だった。

沿道で動画を撮ったり、ゴールで「お疲れさま」と声をかける側だった。

それはそれで、素敵な役割だったけど——
やっぱり「走る側」に立ってみなければ見えない景色があった。

あのしんどさ、葛藤、怒り、涙、完走の瞬間のあの何とも言えない震え。
どれも「経験者」にしか語れないリアルだった。

「挑戦して走りきった」からこそ、見えたものがある。

生まれた感謝の気持ちがある。

それが今の私に、少しだけ自信をくれ前に進ませてくれている。

※補足:ちなみに、私はフルマラソン完走後しばらく足腰や膝に痛みが残りました。
整体に定期的に通って、ようやく回復した感じ。
無理して走ると後遺症が出ることもあるから、本気で走りたい人は十分な練習と体のケアをしておくのを全力でおすすめします。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次