45歳、不妊治療をやめて2年 今の私のリアルな気持ち

こんにちは
だまブログ管理人のだまです。

「泣かなくなった。だけど、満たされてはいない。」

不妊治療を終えて2年。
45歳になった私は、今どこに立っていて、何を思っているのか。
今日はそんなリアルな自分を、ちゃんと書いておこうと思う。

この記事は、このような方におすすめです

  • 不妊治療を経て「子供を持たない」選択をした人
  • 不妊治療を終えたあと、心の整理がつかない方
  • 子どもを持たない人生に、価値を見いだしたい方

ご興味ある方は、読み進めてみてください

目次

治療をやめたけど、終わったわけじゃなかった

45歳。不妊治療をやめて2年が経った。

まず泣かなくなった。
治療中みたいに、何かあるたびに涙が出る、ってことはなくなった。
ふとした瞬間にフラッシュバックして、立ち止まることも減った。

でも

手に入れたものがあるか?と聞かれると、何にもない気がする。

なんなら、少しずついろいろと失ってるような気さえしてる。

これって、私だけ?

自分が納得して前を向いている“つもり”なのに、どこか心の中でずっと自分を説得し続けているような感覚がする。

「なんで私だけ」って気持ちは、きっとずっと消えないんだろうなと思う。

治療のことを思い出すと、今でもちょっとだけ息が詰まる

治療期間は2年ほど。最初から体外受精だった。 そのうちの1回は陽性が出た。喜んだのもつかの間、9週で稽留流産。

泣いた。泣いて泣いて、泣き疲れた。

治療には希望も込めてたけど、いつのまにか絶望の種を植え続けてたんだなと、今なら思う。

もちろん、あのときの自分を責める気はまったくない。
だけど、結果が出なかったことに関しては、いまだにモヤモヤは残ってる。

「頑張ったのにね」って言われるたび、うまく笑えなくて困る。

不妊治療を継続している人のSNSを見るたびに、少し胸がギュッとなる。

可能性を持って治療できていることへの羨ましさと、今もあの渦中にいる人への激励の気持ちと、いろいろ混ざってなんだか分からないけど泣きたくなる。

通院にかけた時間、生活のすべてを治療中心に回した日々、自己注射の痛み。

あれは確かに私の人生の一部だったし、誇っていい経験でもあると思ってる。
でも、やっぱり心のどこかで、「あの時間で何を得たのか」は今も答えが出せていない。

お金も時間も労力も注いだのに、結局残ったのはトラウマだけだったような気がしている。

もう涙は出ない。でも、満たされてはいない

治療を終えた直後の私は、完全に空っぽだった。

スケジュールも、通院も、薬も、期待も、失望も、なくなった。
代わりに何が残ったかというと、「ぽっかり」って音がしそうな虚しさ。

時間が経つにつれて、少しずつ普通の生活を取り戻した。
好きな本読んだり、Netflixでどうでもいい恋愛ドラマを流したり。
友達と笑って、日常を過ごす。

表面的にはすごく穏やかで平和。 だけど、ふと夜になると、「これでいいんだっけ?」って思う瞬間が来る。

誰かがSNSで子供がいない夫婦の生活ことを「宿題のない夏休みのよう」と言っていた(投稿者も子なし夫婦)

うまいこと言うな~と感心した。
まさにそれ、自由なんだけど、「このままでいいんだっけ?」という感覚になる。

“日常”は戻ったけど、“生きがい”は見つからない。

“生きがい”を見つける必要はないと、前にブログで書いたけど、人間というものは無意識にそれを欲するようにできているらしい。

一度は何かを強く願って、頑張って、それでも叶わなかった人の、その後の人生の歩き方って誰も教えてくれない。

だから今も私は、手探りで「自分の生きる意味」を探し続けている気がする。

「何者にもなれていない」呪いみたいに頭の中で繰り返す

最近、勤め先で超ワンマン社長に歯向かったら、パワハラされて、ほぼクビになった。
はっきり言って理不尽だった。
同僚もみな同情してくれた。

でも、私の中ではもうひとつの声がする。

「もし本当に仕事ができる人間だったら、社長にとってメリットがある存在だったら、違う展開になってたんじゃないの?」

そんなふうに自分を疑うときがある。
私は仕事できる風で、職場ではいつも評価されてきた。

でもその評価が覆るようなことが起きると、簡単に崩れてしまう脆い自信しか育てられていない。

履歴書に書けるような立派な学歴もなければ、SNSでバズるネタもない。
ただ、毎日起きて、ご飯を食べて、時々泣いて、ちょっと笑って生きてるだけ。

不妊治療も、仕事も、人間関係も。
努力してもうまくいかなかった経験が積み重なると、自分の価値ってどこにあるの?って疑い出す。

でも、ほんとはそうじゃないはずだよね。
私は生きてる。それだけで十分なはずなのに。

それでも“何者かになれた”気がしたくて、毎日ちょっとずつでも書いたり、思ったことを誰かにシェアしたりしてる。

受け入れた”フリ”じゃなくて、自分に意味を与えたい

正直言って、「もう大丈夫」なフリがうまくなったと思う。

人と話すときも、SNSで投稿するときも、どこかで“前向きな私”を演じてる気がする。

子供に関しても、あきらめた人であると同時に、不妊治療までしたから分かったことがある。
あんまり子供も実は欲しくなかったし、この不安定な現代では「子なし」が正解だったと思う、などと言ったりしてる。

でも、それって本当に自分が納得して自分の言葉で言ってるのか?って思うと、うーん。50/50くらいかな。

たとえば、通院してるときに同じ待合室にいた人たち。
もう会うことはないけど、あの人たちも今、何を思って生きてるんだろう。

私の中には、たくさんの「話さなかったこと」がある。
失敗や後悔や、苦しかった記憶。
あのとき、誰にも言えなかった本音。
期待した自分がバカみたいって思った数えきれない夜も。

あきらめることに慣れただけ?

結局自分の本音をごまかし続けてきたから、本音が見えなくなってしまった。
心の声を無視してきたから、その声が小さくてもう聞こえない。

一生懸命その声を拾おうと、この1年を生きてきた気がする。

私が経験してきたことを、私自身がちゃんと受け入れてあげたい。

「ただの失敗」や「かわいそうな話」で終わらせたくない。

私は被害者じゃないし、ヒロインでもない。

ただの“経験者”として、これからも生きていきたいだけなんだ。

2年前の自分に言いたいこと

2年前の私は、本当にボロボロだった。

不妊治療をあきらめて「子なし」人生が決まり、コロナで失業し、夫とレスになり、完全にアイデンティティ・クライシスに陥った2年前の私。

本音を隠して普通のフリをして過ごしていたら、「あがり症」が悪化した。自信もなくて、人と話すのも怖くて、未来がまったく見えなくなった。

悪化したあがり症をどうにかしたくて、この1年はオンラインサロンで講座やカウンセリングを受けまくった。
それは自分の弱さにとことん目を向ける作業でもあって、正直しんどい時間もたくさんあった。

言えなかった本音をカウンセリングで泣きながらぶちまけた。
同じく傷ついた人達と、オンラインやオフラインで出会った。

弱さでつながる経験をたくさんした。

やってよかった。

今は2年前よりずっと生きやすくなった。
人前で話すことも、自分の意見を言うことも、ちょっとずつ怖くなくなってきた。

今や、超ワンマン社長に歯向かえるほどまで成長した(!?)

そして何より、心の声が少しずつ聞こえるようになってきた。

2年前の私に教えてあげたい。

「今はまだ真っ暗に思えるかもしれないけど、ちゃんと光はあるよ。出口はあると信じられるようになるよ」

何者になれなくても、自分でいられたらOK?

Devil's Bridge in Sedona

私は45歳。50歳まではもう少しあるけど、それでも「人生の後半戦」に差しかかってる感じはある。
世間的には「折り返し」なんて言葉も聞こえてくるけど、精神年齢が中2のままの私はまだまだやりたいことがある。

それが“何かすごいこと”じゃなくてもいい。
笑ってる時間がちょっと増えるだけでも、十分、明日生きていく理由になると思う。

これから先、「自分には子どもがいない」って現実が何度も立ちはだかるかもしれない。
それに、夫との関係や仕事場でまた傷つくようなこともあるだろう。

でも、件の職場での出来事もそうだけど、想像できないような事が起きるのが人生。

この先も何が起きるかわからない
(もしかしたら明日急に終わる可能性だってある)

だからこの今の瞬間だけは、私のものだ。
私は私の人生を受け入れるだけじゃなくて、楽しみたい。

ちょっと泣いて、笑い飛ばして、幸運(または偶然もしくは必然?)にも明日が来たら、肩のチカラを抜いて一日を生きる。

その繰り返しが、私の人生なんだと思う。

それで最期まで自分の人生を生き切れたなら、もうそれだけで十分だと思う。

生きるのは本当に大変で、本当に味わい深い。
これからも、歳と共にいろんな発見があるだろうし、今までの思い込みがひっくり返ることもあるだろう。

そんな思いがけない発見をするためにも、最後まで生き切りたい。今はそう思っている。

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