

こんにちは
だまブログ管理人のだまです。
夫婦関係って、心の奥にある不安を映し出す鏡のような関係だと思いませんか?
私は40代、子どもなし。
夫との関係で長い間「一緒にいても孤独」という感覚に苦しんできました。
最近、私の中で「自己理解ブーム」が起きているんです。
そんな時、ある心理カウンセラーのYouTube動画に出会いました。
「これ、私たち夫婦のことじゃん!」と衝撃を受けたんです。
回避型の夫に、共感を求めすぎてボロボロになった私。
気づいたら、カサンドラ症候群のように孤独を抱えていました。
でも今は、「私だけは私を見捨てない」と言えるようになったのです。
今日は、そんな話を書いていきたいと思います。
この記事は、このような方におすすめです
- 回避型・不安型の関係に悩む女性
- 子どもがいないことで「夫しかいない」と感じ、夫婦関係に過度な不安を抱えている人
- 共感を得られず孤独を感じ、カサンドラ症候群に似た苦しみを抱えている人
回避型と不安型 ― すれ違う二人


愛着理論では、人の関係スタイルを大きく
「安定型」
「回避型」
「不安型」に分けて説明します。
回避型は、距離をとりやすく、感情を出さない。
不安型は、相手の反応に過敏で、つい確認を求める。
夫は沈黙を選びやすい。
私は「もっと見て」「もっとかまって」と迫りやすい。
近づくと相手は引き、引かれると私は追う。
今思えば私たち夫婦が衝突するときは、そのパターンでした。
40代になって「子どもがいない=夫しかいない」と思うと、共感してもらえないこと、愛情表現が乏しいことで孤独感はさらに深まりました。
まさに カサンドラ症候群(気持ちが届かず孤独に苦しむ状態)そのものでした。
不安型 見捨てられ不安の発作


ある夜、体調が悪く夫に「今日はしんどい」と伝えました。
夫の返事は「僕も。エアコンの温度下げたら?」だけ。
その瞬間、心の中は怒りと不安でいっぱいになりました。
「やっぱり分かってもらえない」
「心配してもらえない」
「私は愛されてない」
怒りは本当は弱さの裏返し。
「怖い」「不安」「助けて」と言えない自分がいただけでした。
「心配して安心させて」
でも、本当はただ、
「(どんな私でも)見捨てないで」
言いたいことはこれだけだった。
だから怒りで不安をぶちまけて、それを許容してもらうことで、安心していたのかもしれません。
「こんな私でも受け入れてくれている」
「見捨てられない」
そう安心したかったのだと思います。
夫婦関係の粗探しをしていた


ふと気づいたんです。
夫は私を愛してないわけではない。
夫の愛情表現が私の欲しい表現と違うだけ。
そこには愛がないわけじゃない。
「愛がないと思い込んでいた」のです。
夫が日々の生活を支えてくれること。
私の行動を制限せず自由にさせてくれること。
それらは立派に「愛情表現」でした。
でも私は「夫の冷たい態度」ばかりを見て、証拠集めしていた。
「愛されてない」と思えた方が、捨てられる不安を感じずに済むから。
そうやって傷つくことから自分を守っていたのです。
回避型と不安型 ― 根っこは同じ「愛着の傷」


回避型も、不安型も、実は根っこは同じ。
どちらも 「愛着の傷」 を抱えている。
本当は誰よりも愛着を求めている。
ただその表現の仕方が違うだけ。
回避型は「近づいたら(本当の自分を知られて嫌われる)怖い」と思って距離をとる。
不安型は「離れられたら(見捨てられる)怖い」と思ってしがみつく。
どちらも「怖い」がベースにあるんです。
でも本当は愛着を強く求める者同士。
だからこそ、回避型と不安型は、すれ違いながらも、
お互いにとっての大切な「学びの相手」になれるのかもしれません。
愛着に問題がある者同士だからこそ、
逆に 真の絆を築ける可能性 だってある。
私自身、回避型の夫と出会ったことで、
「自分は不安型」と気づけました。
そして、ずっと抱えてきた「私は無条件に愛されない」という人生の思い込みに苦しめられてきたことも気づくことができたのです。
「私だけは私を見捨てない」と決めた日


転機は急に訪れました。
いつもみたいに夫の冷たい言動に傷ついて、一人で不安に押しつぶされそうになっていたとき。
「ちょっと待って、この不安って、ほんもの?」
泣いてる私を上から見下ろしたように、客観的に考えている自分がいたんです。
私の器が満たされないのは、夫のせいじゃなかった。
「私は無条件に愛されない」という思い込みが、器に穴を開けていた。
私はありのままでは価値がない
だから、一目置かれるような行動をして周りに貢献しないといけない
周囲の人の期待に応え続けないと、生きている意味がない
そんな思い込みに、ずっと縛られて、それが心の器の穴になっていたんです。
だからどれだけ誰かに愛が注がれても、穴からこぼれていたのです。
これでは一生心が満たされることはない。
だから私は、こう決めました。
「私だけは、私を絶対に見捨てない」
「私は、このままで、ここにいていい」
私は無理に頑張る必要はないし、他人の期待を満たす行動をしなくてもいい。
すると心が軽くなり、安心して眠れる場所を自分の中に見つけられました。
もう夫や親に依存して、自分の存在意義や価値を認めてもらわなくていいんです。
私がすべきだったのは、それら思い込みからの「自立(解放)」でした。
出会いには意味がある
そう思うと、私たち夫婦の出会いにも意味があるのだと感じます。
夫に出会わなければ、私は自分のパターンに気づけなかった。
「見捨てられ不安」に直面しなければ、
「私だけは私を見捨てない」と決意することもできなかった。
だから今は、これまでの夫婦のすれ違いすらも、
私を成長させてくれる大切な経験だったと思えるのです。
本当に、人生に無駄な出会いはないんだと思います。
おわりに
夫との関係は今も変わらず微妙なままです。
彼は相変わらず感情表現が少ないまま。
私も時々、不安発作が出ることもあります。
でも、彼なりの愛情表現に気づいて受け取れるようになってきたように思います。
そして「私だけは私を見捨てない」と決めたことで、不安に飲み込まれることは減ってきました。
カサンドラ症候群に似た孤独は、今も顔を出しますよ。
でも私は知っています。
欲しかったのは「他人に認められること」ではなく「そのままで、ここにいていいよ」という安心感だったこと。
その安心は、他人からではなく、自分で自分に与えられること。
だからもう大丈夫。
もちろん、これからも不安は出てくるかもしれないけど…
「私だけは、絶対に私を見捨てない」
この覚悟がきっと私を救ってくれるし、
この覚悟によって夫にも良い影響が与えられるんじゃないかと、思ってます。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。
これからも一緒に、子なし人生を楽しんでいきましょう。
コメント