

こんにちは
だまブログ管理人のだまです。
不妊治療を終えたあと、私の中には“何かが終わった”ような静けさがあった。
でも同時に、“何も始まっていない”空白もあった。
「もう頑張らなくていいんだよ」と自分に言ってみても、
心のどこかでずっと「これでよかったのかな?」という問いが残っていた。
社会に戻っても、ふとした瞬間に自分の輪郭が曖昧になる。
「ここにいていい」と思える場所が、どこにも見つからなかった。
この記事では、不妊治療のあと、あがり症や自己否定に苦しみながらも、
少しずつ自分を取り戻していった私のリアルを書いています。
この記事は、このような方におすすめです
- 不妊治療を終えたあと、心にぽっかり穴が空いたままの方
- 自己否定で、人との関わりに不安を感じている方
- 「ちゃんとしなきゃ」と無理を重ねてしまう、すべてのがんばり屋さんへ
不妊治療を終えたあと、心が空っぽになった


不妊治療をやめたあとの私は、心にぽっかり穴が空いたような感覚だった。
「もう頑張らなくていい」そう思っていたはずなのに、どこかで置いてきぼりになった自分がいた。
社会に戻ろうとしても、自信がなくて、人と話すのが怖くて——
多分、今思うと「自分の価値」を感じたくて仕方なかったんだと思う。
私はそもそも自己肯定感が低い。
「母」になることで、この世に絶対的な居場所ができるんじゃないかと期待していた。
だから、「母」になり損ねたことで、この世に私の絶対的な居場所を持つことはできないんだ、と絶望した。
私は居場所が欲しかった。
職場で、家庭で、絶対的な居場所が欲しかった。
だから、どちらでも一生懸命やった。
結果、あがり症が悪化した。
あがり症が悪化して、会議のたびに心が折れそうだった
人前で話すのが、こんなにも怖いなんて
職場に復帰してから、私は会議が怖くて仕方なくなった。
発言の順番が近づくたびに手のひらは汗で濡れ、心臓はバクバク。
喉は詰まり、言葉がうまく出てこない。
「もう40歳を超えた社会人なのに、人前でまともに話せない私って、終わってる」
そう思い込んで、自己否定ばかりしていた。どんどん自分を追い込んだ。
上司との相性も悪く、空回りし続けて関係も悪くなり、仕事をやっても認められない日々が続いた。
希死念慮のなか出会った、あがり症克服オンラインサロン


生きるのがしんどかった頃の私
正直に言うと、当時の私はかなり追い詰められていた。
「このままいなくなれたら」と思ってしまうような日もあった。
積極的に自分でどうこうしようとは思っていなかったけど、何かの理由でスッといなくなりたいと思っていた。
健康診断の結果が悪かった時、ワンチャン逝けるかもと少しうれしかった。
まともに病んでいた。
でも私の体は生きたがっていた。
出張先で危ない目にあったとき、めちゃめちゃ生き残ろうとした自分がいて、それに気づいた。
私の体は生きようとしているのに、思考は死にたがっている。この自己矛盾はなんだ?
私は一生この「あがり症」を抱えて、色々あきらめながら生きるしかないのだろうか?
そんなのは嫌だ。
ワラをもすがる思いで、駆け込むように、あがり症克服オンラインサロン(佐藤武陽先生 主催)に申し込んだ。
怖かったけど、「ここで何も変わらなかったら、もうあきらめる」と思い、最後の悪あがきとして参加を決めた。
あがり症は「生き方の病」——佐藤たけはる先生の言葉から
カウンセリングで、佐藤たけはる先生はこう言った。
「あがり症は“仲間外れになることを恐れる病”なんです」
「これは“生き方の病”でもあるんです」
それを聞いたとき、全身にじわっと広がるような感覚があった。
これまで私を苦しめていた、この不快な体の反応——
手汗、心臓のバクバク、喉の詰まり。
それは決して「いらないもの」ではなくて、私の体が仲間外れを恐れ、“生きてくために”発揮してきた防衛機能の副産物だった。
私の脳と体は、いつだって必死に「私を守る」ために働いてくれていた。
その結果が“あがり症”という形で現れていたんだ。
だから私は、あがり症に感謝しなきゃいけないのではないか。
そんなふうにずっと自分を守ろうとしていた自分自身を、否定するのではなく、感謝するべきだったんだ。
そう思った。
「自分を見失っている」と言った私に、返ってきた言葉
私はカウンセリングの中で言った。
「自分を見失ってしまった気がします」
でも佐藤先生は、やわらかく、でもしっかりとこう返してくれた。
「見失っている“と感じている”そのあなたも、ちゃんと“あなた”ですよね」
その瞬間、涙が出そうになった。
見失っていたと思っていた自分すら、「自分」を構成する大切な一部。
自分で自分を全否定していたのは、自分自身だったんだ。
「うまく話してはいけません」——その言葉が救いだった


佐藤先生がサロンの中で繰り返し言っているのは、こんな言葉たちだ。
- あがっていい
- 泣いていい
- うまく話さなくていい
- 訳わからなくてもいい
- うまく話してはいけません
- かっこ悪くてもいいから、自分の“生の声”で話してください
「そうか、人に話す目的は“自分をよく見せること”じゃなくて、“自分の生の声を伝える”でよかったんだ」
そう思えたとき、体の力がすこし抜けた気がした。
本当の自分でいたい。本当の居場所がほしい
私はずっと、絶対的な「居場所」が欲しかった。
でも、他人の期待に応えるための自分を演じている限り、
そこにできるのは“偽りの居場所”でしかなかった。
本当の居場所をつくるには、
本当の自分を出すしかない。
弱くても、かっこ悪くても、バカでも。
夫の前の自分を嫌いだった。でも、それが本当の私だった
結婚してから私は、夫といるときの自分が嫌いだった。
いつも不機嫌で、わがままで、強欲で…
そんな自分を見せてしまうことが、情けなくて、自己嫌悪した。
でも今思う。
あの自分こそが、「素の私」だったんだ。
感情を爆発させて、拗ねて、甘えて、試すような行動をして——
それは、私がずっと親に「ありのままの私を認めてほしい」という、子どもの頃からの欲求を夫にぶつけていたんだと知った。
でも、夫は親ではない。一人の人間だ。
ありのままの自分をぶつけ続けたら、夫だって傷つくし、弱ってしまう。
一番大切にしなくてはいけない人を、傷つけたくない。守りたい。幸せにしたい。
そんなことすら、できなくなっていた自分に気づいた。
弱さでつながる経験は、私を少しずつ変えた


「完璧じゃなくていい」そう思えるようになった
不妊治療中も、仕事中も、私はずっと「大丈夫なふり」をしていた。
でもサロンでは、震えていても泣いていても、受け入れてくれる人たちがいた。
自分の弱さを見せても大丈夫、仲間外れにならないって思える場所なんて、人生で初めてだったかもしれない。
サロン仲間の成長が、自分のことのように嬉しかった
気づいたとき、私はサロン仲間の喜びに泣いていた。
「孫のお食い初めに、薬に頼らず出席できた」
「少しだけ緊張がマシだった」
そんな小さな報告が、まるで自分のことのように嬉しくなった。
自分のことで手いっぱいだった私が、
誰かの小さな一歩に心震わせている——
今まで100%自分に向いていた矢印が、サロンのメンバーに向きだした。
「本当の自分で人とつながれている」と思えた。
まとめ:そのままのあなたで、ここにいていい
“ちゃんとできる私”じゃないと居場所がないと思っていたけど、
“そのままの私”でこそ、深くつながれる場所があるんだと知った。
あがり症、不妊治療、自信喪失。
どれも、私をバラバラにした。
それら全部を抱えて重くなった鎧を脱いだ。
鎧を脱いだら、めちゃくちゃ弱い私が出てきた。
そんな弱い自分のままで、人と向き合えるようになった今、深くて不思議な絆を結べるようになった。
「生きててよかった」と心から思える瞬間にも出会えた。
とにかく傷ついた自分のまま、弱さをさらけ出せる居場所を作ってほしい。
カウンセリングでもサロンでも、友達でも家族でも、AI相手でもいい、弱音を吐いてほしい。
本当の自分でいられる居場所を持てることは、必ず救いになると思うから。
この記事が、あの頃の私みたいに苦しんでいる誰かに届いたらうれしいです。
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