

こんにちは
だまブログ管理人のだまです。
最近、ちょっと気づいてしまったことがあります。
書いた本が売れた。
夫に旅行に連れて行ってもらえた。
仕事も決まった。
それでも、充足感が続かない。
「もっと」が出てくる。
「それだけ?」と思ってしまう。
いいことが続いているのに、どこかずっと底に穴が空いているような感覚。
これ、なんなんだろう、と思っていたんです。
その理由が最近分かった気がしています。
今日はそのことについて書いていきたいと思います。
この記事は、このような方におすすめです
- なぜか満たされない人
- 何かが手に入るたびに、もっと欲しくなってしまう人
- 「ありのままでいい」と言われても、どこかしっくりこない人
充足感が続かない、その構造に気づいた


最近、ある本を読んでいて、ふとこんな言葉が刺さりました。
「”それ”は在る」
『私にはあれこれがない。あれこれが無ければ幸せにはなれない』
『私にはあれこれがない。よって、私は幸せではない』このような観念がある時、
それが実際に世界に投影されるために、
あなたは、自分は幸せではない、という現実を経験する。
そしてまた自分は幸せではない、という現実を実際に経験するがゆえに、
その自分は言う、『やはり私は幸せではない』と。
私はずっと、「満たされない」と感じていました。
あれが欲しいと思って手にいれたら、すぐ「もっと」となる。
手に入れた物に一時は感謝をしても、すぐ「もっと」となる自分は、どっか悪いんじゃないか。
そんな風に思っていました。
でも本当は、充足感が足りないんじゃなかった。
「ありのままの自分じゃ価値がない」と思っていたから、必死なだけだったんです。
「ありのままの自分じゃ価値がない」という前提


カウンセリングを受ける中で、私の中にずっとあった前提が見えてきました。
「ありのままの自分じゃ価値がない(愛されない)」
この前提があると、無意識にこう動いてしまいます。
- 何かを達成することで、自分の価値を証明しようとする
- 人の期待に応えることで、居場所を確保しようとする
- 評価されることで、自分の存在を確かめようとする
だから、本が売れると嬉しい。
でも「それだけ?」となる。
また次の「もっと」を探し始める。
死に物狂いでゴールに到着しても、次のゴールがまた再設定される感覚。
なぜなら、基本的な立ち位置が「ありのままでは足りない自分」だから。
何かを達成したら、そこがまた「足りない自分」の再スタート地点になるんです。
だから、その「足りなさ」を外的要因で補いにいく。
これは自己肯定感の問題というより、
もっと根っこにある「前提」の問題だったんです。
「ありのままの自分じゃ価値がない」という前提で見ているから、
何が起きても「それでも足りない私」という結論になる。
現実が変わっているんじゃなくて、見ているレンズが変わっていないだけ、なんですよね。
レンズが変わっていないから、世界が変わっても自分はいつまでも「足りない」まま。
永遠に満たされることはない。
だからある意味「ありのままの自分じゃ価値がない」と思う現実が、思い通りに起きていたわけです。
それに気づいた時、愕然としましたね。
「私これ、一生やるつもり?」
このままじゃ、たとえ超恵まれた状況になったとしても「もっと」と言いかねない。
たとえベストセラー作家になったとしても、「でもあの人みたいに何冊も書いてないし」と言うだろう、と気づいたんです。
この前提がある限り、私は一生満たされることはないわけです。
本当に欲しかったのは


では、私が本当に欲しかったのは何か。
評価?
実績?
承認?
違います。
「何もしなくても、ここにいていい」という感覚。
ただそれだけでした。
頑張らなくても。
役に立たなくても。
結果が出なくても。
ありのままの自分で、ここにいていい。
そういう感覚を、ずっと欲しがっていた。
でも「ありのままじゃ価値がない」という前提で他人の期待に応えて生きてきたから、
「何もしなくていい場所」は、人生からどんどん少なくなっていった。
皮肉な話です。
気づいた瞬間がある


前提の強さに引っ張られる日々は続きました。
ただ振り返ってみると、カウンセリング等を通して、
前提や本当の欲求に気づいたことで、
「ありのままの自分でいられた」瞬間が、最近は確実に増えてきていると感じています。
書いた本が一冊も売れなかった話を、
「墓まで持って行こうとしてた」と言いながら、50人の前で笑いに変えた、あの瞬間。
下手くそなウクレレを震えながら弾いた、あの瞬間。
誰も読まない英語版の書籍を出版した、あの瞬間。
誰かに褒めてもらうためじゃなかった。
承認欲求を満たすためでもなかった。
ただ、自分がそうしたかったから、やった。
あの瞬間だけ、レンズを外していた。
「ありのままの自分じゃ価値がない」という前提を、外からの評価で埋めようとしていなかった。
ただ、そのままそこにいることを認めてくれる人の前では、そういられた。
評価・承認・実績がなくても「ありのままで、ここにいていい」と、自分が思えていた。
そんな瞬間がちゃんとあったんです。
同じ行動でも動機が違うと、こんなにも気持ちも体も楽にできるんだと驚きでした。
「ありのままの自分」は、練習するしかない


頭で分かっていても、前提はすぐにはゴロッと書き換わりません。
「ありのままの自分じゃ価値がない」という前提は、長い時間をかけて染み込んだものだから。
でも一つだけ分かったことがあります。
この前提が緩むのは、「ありのままで動いた経験」が積み重なった時だけ。
頭で否定しても消えない。
「私はありのままでいい」と唱えても変わらない。
震えながらでも、怖くても何回でも「ありのままの自分」で行動する。
「ありのまま」の自分の言動をジャッジしない。
他人のジャッジを自分に影響させない。取り込まない。
また前提をベースにしている自分に戻っていると気づいたら、



もうええて、自分、そのままで足りてるて
と言って、自分をゆるめてみる。
そういう小さな意識の再定義の反復が、少しずつガチガチな前提をゆるませていくんだと思っています。
まとめ
充足感が続かないのは、欠陥じゃなかった。
「ありのままの自分じゃ価値がない」という前提のせいで、何が満たされても「足りない自分」から再スタートしていただけ。
その前提を24時間365日変えるのは難しい。
変えようとしなくていい。
ただ、自分の欲求に正直に、一つずつ動いていく。
それだけでいいと、今の私は思っています。
同じような感覚を持っているあなたに、何か一つでも引っかかるものがあれば嬉しいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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